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一ヶ月ほど様々な面で不安定になってラジオやブログ(こちらも大概ですが)の更新を止めていました。
何というか、自分の中の不全感やそういったものが発酵してきたというか、不快なものに変化してきていました。 実はこのことは一年前にも起こっていました。五月病の一種なのかなとも考えています。 自分の中で自分というものが分からなくなっていました。 アイデンティティの喪失などと言えば適切なのでしょうか。よく分かりません。 自分の中で死守しようと確信していたものに確信できなくなっていました。 何というか、これらのものは自身の「細胞壁」にも似たものなのかもしれません。 「細胞壁」があることで確固たる幹が形成されて立っていられるような。 そして、それが揺らいだり穴が開いてしまえば途端にへなへなになって、何も規定できなくなる。 皆、多かれ少なかれ種類は何であれそういったものは持っていると思います。 これまで我慢していたという背景は一応あるのですが、こんなことが爆発していました。 ここに至るまでの数々の瞬間、同じようなことに打ちのめされていました。 相変わらず言い訳がましい、情けないにも程があると感じています。 しかしそれは百も承知、むしろ向き合っていきたいという気持ちは気持ちばかりあります。 7月9日放送分のむ~~~んは井口さんのお誕生日前祝い特集でした。 先日のこむちゃに引き続いて多くのスタッフさんやお仲間からお祝いが送られていました。 特に、鷲崎さんからのオリジナルバースデーソングには私も驚かされました。 簡単なジングル+コメントかと思っていたところ、かなり本腰を入れた曲となっていました。 歌詞の内容も、いつもの井口さんの性格(?)をよく捉えた深い愛が込められたものでした。 私は特に祝われているわけではないのに、嬉しさを通り越してともすると泣きそうでした。 ファンになってからようやく一年が経とうとしているところ、私が知っていることは非常に少ないはずなのですが、それでも頷いて納得できることばかりでした。 十一時になる頃には私も温かい気持ちいっぱいでした。 そしてその後。ついったのRTで回ってきたのは後藤邑子さんのブログでした。 後藤さんは病気の治療に伴って休養を取られています。多忙な生活から一時的に離れ、ゆったりとされているようです。 最新の記事には、半生を振り返った内容が記載されています。 やりたいことをつきつめ逆に身体に負担をかけすぎてしまったこと、それを支えた周りの人々への感謝がつづられています。 この二つの出来事に触れ、私は「人間は誰かに生かされている存在である」と思わざるを得ませんでした。 この言葉は高校の時の変な(通説)先生が繰り返されていた言葉です。 当時はあまり実感が湧きませんでした。 自分「が」生きているのであって、周りの人が私の人生にどうこうするものではないと感じていました。 大学に入ってからも同じように思って生きていました。ただ、辛いなと思うことは多かったのを覚えています。 しかしその日、ふと思い返しました。 自分の周りには知らず知らずのうちに支えてくれる人がいて、その人がいなければ私は今満足に生きているのだろうか、と。 自分が自分でいられなくなったとき、自然と心の支えとして助けてくれた人がいました。 それは今だけでなく、大学受験の時、小中高、些細な悩み、つまらない優柔不断など多種多様です。 なのに私はその貴重な差し伸べてくれた手を見過ごして生きてきた、のでしょう。 独力だけで生きていけるなんて嘘です。 触れた人の言葉、仕草、表情……すべてが今につながっていると思います。 時々私は、自分の姿勢を「他人の表情ばかり伺っている臆病者の姿勢だ」と思うことがあります。 でもそれは大きく違っていて、実際のところ私は自分の方に目を向けているだけです。 内側を向いているようにすれば、一匹狼に見えるようなそんな真似をしているだけです。 それに気づいた今、大きく反省しなければと後悔しています。 自分の生き方を規定しているのは半分以上が自分以外の人です。 そして、その生き方が私にとってどんな形であれ楽しいものであること。それを改めて感謝しなくてはと思います。 まだ8月になるまではしばらく諸々不安定だと思います。 再び安定しているとやっと言えるようになり次第、周りのことにも力を注いでいく所存です。 応援してくれている貴重な方々にはその時、改めてお返しします。 PR この記事にコメントする
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