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京大の山中氏がノーベル賞を受賞されたとかで世間は大盛り上がりな昨今。
久しぶりに晴れやかなニュースだったなあと思います。おめでとうございます。 その中、バイト帰りに見たNW9でやってたウサイン・ボルトへのインタビューを見たりしてふと思ったことを少しだけ述べてみます。 歴史上の偉人でも近年の著しい功労者でも構わないのですが、想像しましょう。 彼らが偉大な功績を残したからと言って、手放しに人生の目標とするのはどうなのかなと思います。 著しい功績の裏には必ず著しい課題があるような、そんな気がします。 例えば研究者が学会をにぎわせるような発見をするためには、たゆまぬ努力があったはずです。 スポーツ選手の、競技場を沸かせるパフォーマンスのためにも日常の鍛錬があるからでしょう。 でも、その舞台裏には何かしら、隠しておきたいようなことがあるのではないかと思います。 よーするに、伝記や生き様をすべて忠実に子供には真似させてはいけないと思います。当たり前ですが。 学校で先生は「○○さんのようになりましょう」的なメッセージを伝えることがありましょう。 でもそれって、一種の偏見にも似た考え方ではなかろうか。 「エジソンみたいな人になる!」と伝記を開いてみれば、ろくに学校に行かなかったエピソードがあったから「僕は学校行かない!」とか。 オーバーなのかな、とも思います。 私としてはクラスメイトの素晴らしい点を少しずつ取り入れるほうがよっぽど理にかなっているような。 安易に世界の大記録を引き合いに出してはいけない。 むしろ格ゲーで鮮やかな勝ち方をした友達を見習うような姿勢でも、学ぶべきところは多いと思います。 まとまっていないなー……。 要は高望みせず、日常に転がっていることを丁寧に拾っていくのが良いということで一つ。 PR この記事にコメントする
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